最近自分との対話スキル「セルフコミュニケーション力」が下がってきた。
自分とコミュニケーション取ってる?
自分との対話してますか?と聞くとかっこよく聞こえますが、要は。
自分の事理解出来てますか?
という話です。
僕の記事の大半はオピニオン記事ですが、その記事がどこから出来てるかと言いますと、全てこの「自分との対話」から生まれています。
例えば、
「皆が赤ちゃんをかわいいと言っているのが気持ち悪いと感じた」
↓
何故気持ち悪いと感じたのか?
↓
赤ちゃんをかわいいと言っているのは自分より非力だから
みたいなね。そんな感じですよ。自分の感情を一つ深堀すると考えてもらえればわかりやすいんじゃないでしょうか?
ただ最近この力が弱くなってきちゃいまして、言うなれば
セルフコミュ障
状態で、あまり記事が書けていません。俗にいうスランプですね。
もしかすると、自分と対話する力は上がったのかもしれませんが、文章力がそれについてきていないだけかもしれません。
記事にしたくて出来ていない物一覧
- 慣れ合いは気持ち悪い。
ブロガーとかの慣れ合いを見て気持ち悪いと思ったのがきっかけなのですが、実際なれ合いが良い物なのか悪い物なのか判断が付かないですし、悪い物だとしたらなぜ悪い物なのか説明できないので書けていません。
- 能ある鷹は爪を隠さなくていい時代になった。
インターネットが普及したから能ある鷹は爪を見せていけばいいという話ですが、このことわざには謙虚であれという意味も含まれているため、根本から構想が壊れてしまい書けていません。
- 合理的をはき違えている人たちへ。
合理的な判断という言葉が都合の良いように使われている現代がクソだと思い書こうと思いましたが、これまた説明が上手く出来ないため書くのをやめてしまいました。これに関してはその内形にしたいとは思っています。
結果的に足りないのは「説明力」
大体は自分の言いたい事が分かっているのに文章にして説明できないという結果になりました。自分の弱みを知る。これもまた「自分との対話」かもしれまんね。
彼を知り己を知れば百戦殆うからず
こんなことわざもあります。読んだ意味の通り、自分と相手の事を知ってれば何度戦っても負けないという意味ですね。そりゃそうだろって話ですが。
現代は人と戦う事なんて少ないですから、いつ出てくるか分からない敵よりもまずは自分の事から知り始めるというのはいかがでしょうか?
みたいな文章の結末とか考えてるから書けなくなっちゃうんだろうなとまた反省してます。
ではまたんごまたんご。