それでも頑張ろう。
僕には文章を書く才能がありません。大した努力もしてないですし、才能が無いとか言う段階じゃないかもしれません。ですが、才能が無い事は分かります。
それでも頑張ろう。好きだから。
でもこの「それでも」って正しいんでしょうか?
その「それでも」の行き着く先は?
確かに、諦めず努力することは大事な事です。ですが、才能がある人間を見てこう感じる事は無いですか?
絶対に勝てない。
スポーツをやっていた人なら大半の人が経験したことあるんじゃないでしょうか?
世界大会で戦っているあの選手は本当に自分と同じ人間なのかと。どういう構造してたらあんな事が出来るのかと。
そして多分その考えは当たっています。才能がある人間には一生勝てないでしょう。
それでも頑張ろう。
社会的に見れば立派かもしれません。ですがその「それでも」が行き着く先はどこでしょうか?一生続けても絶対に1位にはなれない。もしかしたら区でも1位になれないかもしれない。もしかしたら大会にすら出れないかもしれない。
そんな中途半端でしかも絶対ハッピーエンドにならない努力は正しいのでしょうか?
という弱気な発言。
と言う様な事を、大塚明夫さんが書いた。
を読んで思いました。内容としては声優になんかなっちゃだめだ。努力だけでは絶対にやっていけない。みたいな感じですね。
最近僕もこちらのブログを読んでいて同じような事を考えていまして、
ダヴィンチニュースでコラムを書いているだけでもすごいのに、そのコラムで上位を維持しているだけでもすごいのに、そんな自分を最悪最低と言うハルオサンを見て
「あぁ、絶対届かないなぁ」
と思いました。そこで出てくるのはやっぱり。
それでも頑張ろう。
この言葉の後にはいつかどうにかなるとか、なんとかなるとか不明瞭な言葉が続くんだと思います。
今回は「それでも」を批判しましたが、それでも頑張った先に何があるのか。もしかしたらどうしょうもない結末かもしれないけど、ただ見てみたい。という好奇心を持つのは個人の勝手ですし、見る権利は「それでも」を続けた人にしか与えられません。
どんなクソ映画も人によって評価が変わったり好みがあるように、あなたの「それでも」の行き着く先がどんなに糞でも、もしかすると誰かが評価してくれるかもしれません。
という事で、僕は初心者一号というクソ映画のラストを見たいがために今日も無様な「それでも」を続ける事に決めました。
まぁ自分主演の映画なんて、自分が見るだけならどんなに糞映画でも絶対面白いに決まってますよ。
ではまたんごまたんご。