「死ぬ気でやれよ、死なないから」という名言の罠。
その言葉を聞いたときにはもう遅い。
「死ぬ気でやれよ、死なないから。」
その言葉を初めて聞いたのはいつだろう。詳しく覚えてないがこれだけは覚えている。
感動した。
何ていい言葉なんだろう。確かにそうだ。僕も何か死ぬ気でやってみよう。
しかし今はこう言いたい。
ふざけんな。
死ぬ気でやると死なない=
この言葉を発した人は実際に何かを死ぬ気でやってみて成功した人なのだろう。だからこそこういう言葉を言える。
しかし、この言葉を聞いた人間が何かを死ぬ気でやろうとした時はどうだろうか。
そこには常に「死なないから」という一言があるはずだ。
つまり死なないと分かっている状態で死ぬ気で頑張れと言うのだ。
それって死ぬ気?
死なないと分かってるのに死ぬ気なんて可能なの?
背水の陣で例えよう。
背水の陣とは↑に書いてある通り、決死の覚悟で潜在能力を引き出す作戦の事だが、これもある意味では「死ぬ気」である。
そこで考えてみて欲しい。
背水の陣を敷き、目の前には敵、後ろには断崖絶壁。絶体絶命の場面でこんな声が聞こえる。
「おいこの崖、下に安全マット敷いてあるから大丈夫らしいぞ」と。
果たして決死の覚悟で闘えるだろうか?
僕なら無理だ。何故ならそれはもう背水の陣ではないから。
「どうして死ぬ気になって戦わないんだ」と焦る大将に一言。
「だって死なないんでしょ?」
人生がゲームなら名言は攻略法だ。
名言とは何者かが何らかの境地に辿り着いた時に発せられる言葉であり、それを見るという事は即ち人生においての攻略本を見る事である。
一度しか攻略する事の出来ない人生。攻略本を見る事は悪い事じゃない。
しかし、ネタバレは良くないだろう。
「死ぬ気でやれよ」という言葉自体が名言なのに、死ぬ気でやった後の事まで教えられたらつまらない。
ゲームで言えば。
「勇者の村にある勇者の剣があると魔王を倒せる」と書かれてる攻略本に落書きで、
「その後勇者は魔王と共に世界を統治し、女戦士と結婚する」と書かれてる様な物。
名言は悪魔で攻略法でしかない。
攻略した後の世界は自分で見るべきなのだ。
まとめ
- 名言は攻略法。
- 攻略した先は自分で見ましょう。
名言で人生変わるとか言う人も居ますが、僕はそう思いません。例えば、
「非凡であろうとする事は平凡である」みたいな名言がありますが、これはよく考えると至極当然のことです。
攻略本風に言えば「草タイプの敵には炎属性の攻撃が有効だぞ」と言ってるような物。当たり前です。
しかし、炎属性の攻撃が出来ない場合はどうするか?
素手で殴り倒すしかありません。
名言何て所詮は他人の言葉。環境も違えば使う言葉すら違う。そんな人の言葉で人生変わるのはまだ無垢な赤ん坊くらいじゃないでしょうか。
という事で僕が考えた名言みたいな物をここに書いておきます。
名言など他人事である。
僕はこの言葉にたどり着いたばかりなので、これが正しいか間違ってるかは分かりませんが、とりあえずこのまま進んでみます。
ではまたんごまたんご。