就活生の憂鬱。
人生のいたる所で聞かれるようになるこの質問。「では自己PRをお願いします」
質問自体は悪くないが、この質問にはもはや定型の答えがあると言ってもいいだろう。
例えば「自分はサークルの運営をやっていたため、責任感があります」や「自分は部活で頑張る事の大切さを学びました」等である。
これを聞いて何か違和感を感じないだろうか?
僕はこう思う。「責任感?頑張る事の大切さ?何それ?」
そんなに責任感が大切だろうか?頑張る事の大切さを知ってることが凄い事なのだろうか?
いや違う。どう考えても大切じゃない。何故ならばそんな物は持っていて、知っていて当然だからである。
この質問の真意は多分、まともな事を答えられる人間か否かという物だと思うが、あまりにも答えが定型化されすぎててもはや意味ないのではないだろうか。
というのを最近された面接で考えた。
空っぽでも生きていける世界。
この定型の答えの一番悪い所は、どれだけその人物が空っぽでもそれっぽく見えてしまう所だ。空っぽでも口さえ上手ければ受かってしまう。
上で挙げた例を元に考えてみよう。サークルの運営と部活を例に挙げたが、結局サークルの運営をしただけ部活をしただけでしかないのだ。
何かを達成したわけでも出来るわけでもない。それをあたかも自分の長所の如く語るのは明らかにおかしいではないか。
こんな物を許しているから、新入社員がどうたらだのゆとりがどうたらとなるのではないだろうか。
新入社員がダメな奴が多いのもゆとりがおかしい奴が多いのも当たり前だ。こんなクソみたいな面接で入社した空っぽばっかなのだから。
企業側は自分で入れたくせに新入社員が~等とよく言うが、我が社の人事は糞ほど無能ですと言う事と同義だとしっかり理解した方がいいだろう。
就活生、圧倒的な力を欲す。
こういった理不尽な面接に出会った時に感じるのは「僕にもっと力があれば」という主人公的な苦悩である。
例えば僕のブログのPVが月1万を超えれば、自己PRはもはや「自分のブログは月延べ1万人の人が見ています」と言うだけでいいのだ。
やはり世の中の理不尽に立ち向かうためには圧倒的な力が必要なんだと、改めて感じた瞬間だった。
ワンピースツギハギ漂流作家という漫画にこんなセリフがある。
「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ」
これに倣って僕も言いたい。
「何が長所かより何が出来るかで自分を語れよ」
皆さんはこういった外面ばかりを重視する自己PRってどう思いますか?
そしてこんな就活システムを変えようともせず新入社員が~とか言ってる企業側に対してもおかしいとは思いませんか?
ではまたんごまたんご。