どこかの独裁者みたいだな。
虚無の淵からこんにちわ。特にいう事は無い一号です。
タイトルにもありますが、皆さんは謙遜ってするほうですか。いやいや、とか、そんなでも、とか、僕のお陰じゃ、とか言ってますかね。
僕はあまり謙遜しないんですよね。というのも謙遜が当たり前すぎて、褒められた時に「まぁな」って言うだけでも笑いが取れるからです。
よくよく考えたらこれって異常だと思いませんか。褒められて認めたらすかさず「認めんのかよ」っていうツッコミが来るような世界っておかしいですよね。
そこで僕はこの考えに至りました。
謙遜を美徳とする国はいつか滅びる。
少し説明していきましょうか。
そもそも本当の謙遜をしてる人なんてほとんどいない。
これが謙遜の意味なんですけども。僕としては謙遜って「控え目な態度をとること」だと思ってるんですよね。
つまり、まず壇上とかブログとかそういった所で謙遜している時点で、それはもう謙遜ではなく、疑似謙遜です。謙遜という名の好感度上げです。
本当の謙遜っていうのは、良い事をしても、名を告げずに帰るようなかっこいい人の行動を言うんです。「名乗るほどの者じゃありません」こそ謙遜なんです。
それは謙虚の間違いだろと思った方もいると思うんですけど、謙虚と謙遜ってほとんど同じ意味なんですよね。
まぁそういう事やで。
疑似謙遜は意識高い系を生み出す。
意識高い系ってどんな人っていう方にはこちらの記事を読んでみてください。
よく有名人が「私なんかでも出来たんで、誰にでも出来ます」とか言いませんか。一つ言わせていただきたいんです。
イヤできねぇから。と
まぁ、こういう言葉を聞いて結構真に受けちゃう人っているんですよね。で、真に受けちゃった人がどうなるかっていうと、意識高い系になっちゃうんですよ。
何でかと言いますと、こういう言葉を真に受けちゃうと、僕でも私でも出来るんじゃないかと考えだして、ワンチャン狙う人が増えるからです。結局現実はそんな甘くないんで挫折する人の方が多いでしょうけどね。
最終的には弱体化が進む。
まず上で挙げた意識高い系が増えるっていうのが1つ目のデメリットなわけですけども、もう一つデメリットがあります。
僕なんかでもとか言われてると、段々それが簡単に思えるって書いたんですけども、これってみんなの目標であるものを貶める行為でもあると思うんです。
するとどんどん全体的に目標が下がっていき、最終的に国自体が弱体化するんじゃないかと僕は思ったんです。
謙遜は黙ってしろ。
謙遜をするなら黙って去るくらいがちょうどいいと思います。もしも、壇上とかで褒められて逃げられない場合は、いっそのこと認めちゃうくらいが潔くて僕は好きです。
メディアは謙遜謙遜って騒ぎ立てますけども、謙遜なんて誰でも出来る事を取り上げるより、誰にでも出来ない誇らしい出来事を取り上げるべきではないでしょうか。
皆さんも褒められた時は是非「まぁな」と言ってみてください。「何だこいつ」って言われると思います。
ではまたんごまたんご。